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勉強しろと言わないほうが成績は上がるのか?

昨今よく聞かれる「勉強しなさいは言わないほうが良い」はどういった根拠なのか? また果たしてそれは事実なのだろうか?

教育小学/中学

■勉強しなさいは本当に逆効果なのか?

子どもの頃に母親から「勉強しなさい」と叱られた経験のある人も多いのではないでしょうか?
昔のテレビアニメでもよく見かけましたが、テストの点が悪いと決まって「勉強しなさい」と親から雷が落ちたものです。
しかし、最近では「勉強しなさいは逆効果である」という、一瞬聞くと首をかしげてしまうフレーズが聞かれるようになりました。

そもそも勉強という言葉は「勉めて強いる」わけなので、そこになにがしかの強制力が伴っていると感じてしまうのだが、 どうやらそれは違っているらしい。
今は勉強は子どもの自主性に基づいて押しつけるものではなく、「勉強しなさい」と強制するものではないということらしい。
多分勉強ではなく自学という言葉のほうが当てはまるのかもしれない。

確かに子どもの自主性に任せて、自らが進んで学ぶ環境を持つことこそが、本当の学びを作ることかもしれない。
そんなことは百も承知なのですが、そうなかなかうまくいかないのが教育だと思う方も多いのではないでしょうか。
黙っていても自主的に学びの機会を持って、いろんなことを学習していくことができるのであれば、世のお母さま方や、 のび太のママも「勉強しなさい」とは言わないはずです。
「勉強しなさい」の言葉には「勉強をすることがあなたのやるべきことですよ」という事を諭している言葉なのです。

そう考えると、子どもが外出するときにかける「車に注意しなさい」や、 夜更かしして明日の学校を遅刻すのかもしれないという心配からくる「早く寝なさい」と、 何ら変わることのない言葉なので、別段言ってはいけない言葉ではない気がします。


■今やろうと思っていたのに・・・は反発心

では何故「勉強しなさい」を言わないほうが良いのでしょうか?
よく聞く意見で「子どもは今やろうと思っていたのに・・・」と思うので、子どもの自主性を奪ってしまうというものがあります。
それは確かにその通りです。
しかし「車に注意しなさい」と言われて「今注意しようと思っていたのに・・・」と思う子どもがいるでしょうか?
多分いないでしょう。
何故なら車に注意しなさいには、叱りのニュアンスが混ざっていません。
寧ろ自分の心配をしてくれている親心を感じる言葉です。
一方で「早く寝なさい」には叱りのニュアンスが混ざっています。
親としてはどちらも心配からくる言葉ではあるのですが、内容によっては意外と感じ方が違っています。

■叱られることへの抵抗が自主性を妨げている

叱られることで子どもたちは反発心を感じます。
それがかえって気持ちを硬化させてしまい、やるべきことをやらなくなってしまいます。
それは「どうせ叱られるから」という半ばあきらめのような心境からくるものではなく、 寧ろやらなくてはいけないもの、という事が分かっていながらそれを指摘されたことに対する反発する気持ちがあるのです。

そもそも自主性とは、自ら進んで動くものなので、自主性を重んじるためにはまずは認めてあげることが大切です。
叱られていると感じた時から自主性は生まれては来ません。
また自主性には強制はありません。
自らがやらなければと思って動いていく必要があります。
人に強制されて行うことは指示や命令です。

例えばあなたがマラソンランナーだとします。
今は20キロを走れますがマラソンランナーなので、40キロ走らなければいけません。
倍ですから結構大変そうですね。
この時人から「あと20キロ走るために毎日走り込みなさい」と言わても、そんなことは本人は百も承知です。
そうではなくて「あと20キロどうやったら走れるのだろう」と聞かれると、おそらくいろんな練習方法を考えるでしょう。
「勉強しなさい」という言葉は、このニュアンスと似ています。
いわば分かっていることを指示されることに対しての反発心が、自主性を妨げているのです。

■自主性を高めるためには

ここまで「勉強しなさい」という言葉が自主性を妨げていることを論じてきましたが、 そもそも自主性を高めるにはどうすればよいのでしょうか。
そのヒントは自発的行動の教育にあります。

自発的行動の教育とは、例えばボーイスカウトなんかで実践されているそうですが、まずチームを組みます。
あらかじめ紐の結び方など技術的なものを教えておいて、部材のみ渡してテントを組み立てさせます。
テントの組み方は教えず、チームで考えさせるわけです。
子どもたちは持てる技術を駆使して、テントを立て、作ったときには達成感を感じることができます。
監督者はなるべく手を貸しません。
もちろん監督者の見守りやサポートはあります。

■自発的に動くための教育とは?

再度テントの話に例えてみましょう。
テントを組み立てる際に与えたのは技術とモノです。
詳しい作り方や、いつまでに作るのかは指示していません。
ただテントを作りなさいとしか伝えていません。
もしテントの立て方をレクチャーしたり、テント自体を立てることに失敗したら、 テントを立てるということで自主性を養っていくことは成功とは言えません。
テントを作ることで子どもたちが得たものは、達成感です。
自分で何かをやったという達成感が自主性を養い成長をさせていくのです。

では子どもの教育に話を戻します。
テントを立てるという事は勉強をすることによって得た成果物です。
与えた技術は勉強の仕方で、テントを立てるための道具は学習のできる環境です。
技術は教える必要がありますが、自発的に身に着けることもできます。
いわゆる見て覚えるというものです。
親が普段から勉強をしていたり、本をたくさん読むような人であれば、きっと子どもにも影響があるでしょう。
モノは塾や習い事もそうでしょうし、パソコンからのコンテンツや本棚の中など、あらゆるところに転がっています。
そして最後に成果物です。
テントのように形に残ればよいですが、形が無いものは成果物を別途伝えてあげましょう。
例えば、ある程度の点数を取れたら好物を晩御飯に入れてあげるとか、何かの折に「この前は頑張ってたものね」と言ってあげたりと、 そんな些細なことでも大丈夫です。
子どもに大切なのは強制ではなく自信なのです。

■まとめ

自主性をもたせるには強制力があってはいけない
叱りのニュアンスは自主性を奪う
自発的に動くためには技術とモノを与え見守ってあげること
達成感を与え、報酬を与える(ほめる)

「勉強しなさい」は成績を上げるために効果が無いわけではありませんが、 勉強は自主的に行うことが必ず大切になりますので、強制よりも自信を持たせてあげることのほうが大事なようです。
長期的な見方をした場合には効果が薄いのかもしれません。

参考資料・書いた人


著者 書き手:My塾セレクト編集部  Yuji
教育関連会社に二十年余勤務し、塾や通信教育事業の裏方として働く経歴を持つ。
教材作成から、チラシのデザイン、教育系サイトのプログラマとしての実績を持つ。
2児の父でもある。


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